2019/12/11 02:05

花が咲くのを笑うと言います。

咲くは裂くで、破れるのも、裂けるのも笑う姿と見立てます。
秋の果実ではアケビが実を割って笑います。



 味も
 色も熟して
 堪えきれなくなったところで
 かかか
 笑うのだろうね
 ららら
 歌うのだろうね
    ── アケビ「夢と天然」より




ザクロも呵呵と笑います。

 ざくろの笑いを笑ったら
 あけびの笑いを忘れた
     ── 秋「オリオンの扉」より

 
それからクリ。
この三つを一つの画面に描いて「三笑之図」という画題があります。
中国の故事に基づいた「虎渓三笑図」から来ているそうですが、そちらは人物画です。
因にこの三人は、僧の慧遠、詩人の陶淵明、道士の陸修静。



青栗、毬栗、落栗、笑栗、虚栗…。クリにはいろんな名称があります。

北条石仏のある羅漢寺の裏は散歩コースの一つで、今年は境内の栗の木がいっぱい実を塀の外に落としました。大黒さまがどうぞと仰るまま、初めての栗拾いをして、存分に賞味したものです。
クリの実はそうしてたくさん落ちて幾度か拾ったものの、筆に使える枝は落ちていませんでした。

アケビは蔓で、ザクロは実の付いていた枝で描きました。
秋の三笑それぞれ描きたいという思いがあり、結局クリは散歩道に落ちていた葉を吟味して筆に…。葉の柄を使ったり、先っぽを使ったり…。


絵に先んじて「草画帖 18 七草号」で秋果三笑を書いています。俳句です。

 紫に熟れて山女の笑みをせり

 毬栗のまだ青くして笑ふもの

 虚しさに赤き色あり石榴呵々